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【伊久間】
国道256号線は全国に幾つもある不通国道で小川路峠と呼ばれている。古くから飯田と遠山郷を結ぶ交通の要衝として栄え、江戸時代は遠州の秋葉神社参詣で賑わった峠だった。秋葉神社の火防(ひぶせ)の神様を参拝する為に各地からの信者が標高1642mの険しい小川路峠を越えて行った。飯田から上り3里、下り2里で五里峠と呼ばれ、秋葉街道とも呼ばれていた。
飯田市上久堅の一番観音から小川路峠までと上村側から峠までと共に三十三体の観音様が祀られていて道標(みちしるべ)となっていて通る旅人の安全を祈っている。どちらも上り口が一番、峠が三十三番となっている。
明治10年頃には道路が改修されて多くの人馬が行き交ったが1937年(昭和11年)に三信鉄道(現在のJR東海飯田線)が満島駅(現平岡駅)まで開通すると平岡経由で遠山郷への往来が盛んになり小川路峠は寂れ始た。昭和43年に赤石林道が赤石隧道の開通で全通すると牛馬しか通れない小川路峠の衰退は決定的となった。昭和62年には三遠南信道路の矢筈トンネルが開通すると赤石隧道すら滅多に車も通らない道となった。
この不通国道に興味のある者として国道256号線小川路峠もいつかは歩いて見たいと考えていた。同行者が見つかったので早速出かける事にした。喬木村で落ち合って車二台で遠山郷の上村、上町から国道256号線に入る。県道251号線上飯田線との重複区間を行く。県道251号線は赤石林道赤石隧道となり喬木村へ抜ける。その途中の清水に秋葉街道登山口がある。右手下に赤い屋根の家があるが空き家の様だ。秋葉街道の標識の手前に別の林道があり使われていない様で草が茂り大きな石が幾つも転がっている。そこに車を一台置いて上久堅に向かう。
上村清水の秋葉街道入口標識 車を一台置いて行く
上久堅の神ノ峯の手前の国道256号線を東へ上がって行く。三遠南信道路の工事が行われている場所を通り上久堅郵便局の前を通って山の中へと上がって行く。道は車一台程の幅となり一番観音堂のある場所へ着いた。ここは名水が出る場所で道脇に一箇所、広場に一箇所の水汲み場があった。広場に車を停めて支度して観音様に旅の無事をお祈りして出発した。
観世音堂の学舎の館と観音清水 一番観音堂
道を上がって直ぐ左に「あきはかいどう」「火の神への道」と書かれた大きな木の角柱の標識があった。そこから左へ草の茂った秋葉古道へと入って行く。杉の植林帯の中で薄暗く湿った道を上がると林道と出合いその正面に鹿除け柵がありその扉を開けて入り閉めて行く。すぐに二番観音がある。上がって行くと二人静の花が咲いていた。その先で道が二つに分かれていて何の案内も無かったので左に入ってしまった。間違っていたがしっかりした踏み後もあり地形から元の道に戻るだろうとそのまま上がって行った。小さなピークを越えるとその先に秋葉街道があり戻る事が出来た。すぐに四番観音があり、三番を飛ばしてしまった。五番になると国道256号線との合流点に出た。そこには四阿(あずまや)があった。
秋葉街道入口 二人静の花
鹿除け柵を開けて閉める 四番観音
五番観音と四阿と国道256号線 水場
暫くは国道256号線を進む。車もまだ通れる状態の道を進む。アンテナのある広場があり簡易トイレがあったが使えそうにない。水飲み場がありその案内板では樋にホースで水を貯めていて館もあると書かれていたが樋には水は無く館も無くホースはあったが水は僅かしか出ていなかった。その付近は沢になっていて水が流れていてカエルが盛んに鳴いていた。車が通れそうな道はその先の金比羅様付近までだった。大きな松の木があり古い道標があり、左のいけ(野池)、右いヽだ(飯田)と書かれていた。飯田市千代の野池へと続く道だった。
まだ車が通れそうな道 破損したり無くなっている観音もあった
金毘羅様と道標 道標、左のいけ、右いヽだ(画像を着色強調した)
道は車は通れなくても広く、平坦で歩き易い。かつて生活道路として人々が往来した道だからだろう。100mから400mおきに出てくる観音様も旅の無事を祈ってくれている様で心強い。「汗馬沢」と書かれた案内板のある広場に出た。この峠道の中で一番最後まで茶屋があった所で戦後二十年代まで人が住んでいたと案内板に書かれていた。十七観音から先になると所々道が崩壊していて足幅程のトレースをトラバースする。右手は切れ落ちた斜面で落ちれば大怪我をしそうだ。注意して進む。
十六番観音と汗馬沢 汗馬沢
汗馬沢から矢筈ダムが見えた 道の崩落箇所の危険なトラバース
右手の沢が近くなりすぐ下になる。沢に下りれば水が汲めそうだ。山梨の大木があり道は登ってゆく。二十一番観音には堂屋敷と書かれた案内板がありかつて千代の野池の人達が畑を耕したり石灰(せっかい)を焼いたりした場所と書かれていた。遠山郷の人達の郵便物はこの場所で交換されていた。これも昭和11年に廃止された。広い平地があり五基の観音様、石仏が置かれていた。
二十一番観音と堂屋敷跡 二十二番観音から伊那谷が見えた
中央アルプスの山 木地師の墓案内板
二十二番付近からは伊那谷の展望があった。飯田市、高森町、松川町付近が良く見えていてその上に奥念丈岳、越百山から西駒ヶ岳、宝剣岳まで良く見えていた。安平路山付近は雲の中だった。木地師の墓と書かれた案内板がありそれに従って尾根を上がると小さな峰の上に安政年間と書かれたお墓が九基あり一つは倒れていて一つは破損していた。奈良時代頃に日本中を歩いて木を切り木地を作る許可を朝廷から与えられた木地師集団がここにもやって来たのだろうか。
木地師の墓 ひいるば(火ふり場)
曽山への分岐点 三十二番観音、あと一つ
カラマツの大木のある広場には「ひいるば(火ふり場)」の案内板があった。道脇にケルンが積まれている場所を過ぎ、姫の隠れ岩を通り二十九番付近にはピンクテープが二本張られて左への道を塞いでいた。ここが曽山への分岐だろう。伊那山地の曽山へはここから良く登られている。この付近のピークに1638.6mの三角点がある筈だが見に行く事もない。三十番になると小川路峠も近い。上の方が明るくなり鳥居が見えるとそこが小川路峠だった。峠は広く、左手に花菱屋屋敷跡と書かれた案内板があり切り株の椅子が幾つも置かれていた。かなり広い場所で宝暦年間から大正時代まで続いた花菱屋は五間半 X 十二間の本棟造りの茶屋で旅人の食事処や馬の休憩所として栄えたと言う。遠山谷と伊那谷を結ぶ生活、物資の交流の中心地として、秋葉山詣での信仰の道として賑わった処である。小川路峠は秋葉街道の最高地点で1642mである。
小川路峠 上久堅と上村二つの三十三番観音
鉄道通信の反射板裏側 反射面とレンゲツツジ
峠の南側のピークにマイクロウェーブ反射板がありそこに登るとレンゲツツジが咲いていた。鉄道通信株式会社小川路無線中継所と書かれていたと思われる板があったが文字が殆ど消えていて判読出来なかった。現在では通信技術の進歩によりマイクロウェーブ通信は既に廃止されていてこの反射板も使われていない。戦前の鉄道省は逓信省に依存しない業務用電話網を構築していた。昭和61年の国鉄分割民営化の際に鉄道通信株式会社が設立され日本テレコム株式会社となり現在はソフトバンクとなっている。
反射板から伊那谷 小川路峠
反射板の下で休憩していた。天気予報では雨だったが一日中良い天気だった。伊那谷の展望もあり陽射しを浴びながら小川路峠を楽しんでいた。遠山郷、赤石山脈方面は雲が多く見えなかった。
小川路峠から上村側への下り この標識が続く
上村側への道は上久堅からの道より急で狭かった。道には落葉も沢山積もっていた。こちら側の観音様には案内柱が付いていなかった。時々何番と書かれた柱があったが石仏の正面右側に番号が掘られていた。プラスチックの白い板に小川路峠―上町と書かれた案内板が幾つも付けられていた。峠から下って程なく小川沢松田屋茶屋跡があった。広場になっていてイチイの大木の下に三十番観音があった。
上村側の三十二番観音 小川沢松田屋茶屋跡三十番観音
小川沢の松田屋茶屋跡の広場 道脇の墓標と石仏
小川沢松田屋茶屋跡からの道は国土地理院地形図の国道256号線のコースではなく、秋葉街道古道で尾根付近を通っていた。地理院の国道256号線は小川沢から伊藤谷へ下って谷底と稜線の中間付近の斜面を通っている。松田屋茶屋跡から下ってすぐの所に道が分岐している場所があり、左の道を選んだが右に下ると地理院地形図の256号線となっているのだろう。
迷いやすい分岐 左上が正解 崩れかかった桟(かけはし)
道は緩やかに下って行く。時々同じ位の道が分岐していて迷うが良く見ると踏み跡が違い、枯れ枝も積もっていて正しい道がわかる。こちら側の道沿いにも墓石と思われる石塔群があった。二十三番の広場には熊を捕らえる檻が置かれていたが使われていそうに無く、雑草が内部に茂っていた。
二十三番観音と熊捕獲檻 放置された熊捕獲檻
墓石と観音 砂子上で尾根を越えて左斜面を進む
また緩やかな峠道を下って行く。ヒメハルゼミがやかましく鳴いていてミズナラの新緑も美しい。天気も良く標高が下がって来て暑くなって来る。十五番観音を過ぎると樹林の間に広い林道が見えて来て程なく林道伊藤谷線へ出た。「秋葉街道小川路峠へ」と書かれた標識が立っていた。広場になっていて「押ノ田 松若屋茶屋跡」と書かれた案内板があった。その先の小高い峰の上に観音様が何体か置かれているのが見えていた。これが12、13、14番観音だろう。しかし、道ではなかった。
十五番観音から林道が見えた 押ノ田、松若屋茶屋跡
左上の丘に12、13、14番観音 松若屋看板前から降りた尾根と下るコース
ここで道が解らなくなった。下りの標識が何も無く林道を下って見たが解らないので戻って探した。林道の南側を探していてそれらしい踏み跡を下ったが違うので戻る。また探すと南側では無く東側の下に丸太で階段が作られていた。地形図を良く見ると勘違いしてた事が解った。急な丸太の階段を下り杉の植林帯の中を下るとまた林道へ出るがそこには木の階段が作られていて垂直の石垣を階段で下る。半分腐っていて注意する。林道の反対側にもウッドデッキが作られていて登山道となっていた。松若屋茶屋跡から道に迷ったらそのまま新しい林道を下ればこのウッドデッキに出るのでそこから秋葉街道へ下っても良いのだった。上村側の道はかなり急斜面を下って行く。あまり整備されていなくて草が茂り浮石が転がっていた。
林道から見た程野から上村の風折付近 風折の集落
杉植林帯から林道へ下るスロープ 秋葉古道へ下るウッドデッキ
荒れた清水への道 秋葉街道入口が見えた
下の方に赤い屋根が見えて来た。狭い石の多い道を下ると清水の秋葉街道入口に降りた。国道256号線小川路峠を越える事が出来た。登山道とは違い、かつて人々が往来した生活道路で道沿いには三十三体の観音様が見守って下さり、初めて通るコースだったが不思議と不安感は無かった。どこの茶屋跡や道脇にもかつて使われていた茶碗や瓶のかけらが散らばっていてここで多くの人達の生活があったのかと偲ばれるのだった。
秋葉街道入口へ出た 県道251号、上飯田線と秋葉街道入口
秋葉街道の上村側は平成9年に上村、上町の地域振興を考える会の有志の皆さんが小川路峠歩道の復旧を構想し村の支援を受けて復旧させたのだった。地域の皆さんのご努力に感謝致します。
歴史を感じさせる秋葉古道は静かな峠道だった。
【寺澤】
天気の良い夕方、西日が山の頂上にある大きな人工物へ反射して光っている所が、小川路峠と知ってから歩いてみたい、という気持ちが強くなり今回、伊久間さんと達成することができました。
新緑の濃くなった峠道は、遠山の里へ苦労し多くの物資を行き来した人々の名残を感じ、当時双方に33体あったお地蔵さまと馬頭観音さま、寂しくなってしまった今でも見守って下さいね、とお願いしながら越えることができました。
飯田と遠山郷を結んだ小川路峠は秋葉街道
三十三体の観音様に見守られて登り三十三体の観音様と下る小川路峠
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